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ちいさなリベンジ

きょうは、強風と舞い散る雪の中を東京から次男の婚約者のご両親がご挨拶にみえた。
次男はお蕎麦の美味しい店に席を設け、自宅と工房と工房の二階に作っている新所帯を
ご両親に見てもらった。

正直なところ、この建物の二階にはいろいろな可能性があり、夫が一度避難した後で
命がけで持ち出した音響機器類が置いてあるので、泊まれる客間を兼ねてそっとそのままに
しておきたかった。

この建物は、もと元米倉庫だったので、爆音でフルにレコードなりCDなりを回しても近所迷惑
という事は起き得ない希少な空間だった。

それをあっさり次男たちに提供した夫の心中は計り知れないが、夫が満足ならそれで良い。

夫と次男で工事している現場をあまり見に行った事がなかったのだけど、今日、この機会に改めて
洗面所や台所が付き、壁を漆喰で仕上げた空間を見ると、よだれが垂れて地面に落ちる、という
気持ちである。

でも、私が入院した時も自宅療養しているときも、死に損なった時も、いつもついていてくれた
次男に何らかのお礼になれば、わたしもそれでとてもよかったと思う。

婚約者のSちゃんのご両親も私たち家族の自給率の高い生活や次男が自前で作っている新所帯を
賞賛してくださり、これからも仲の良い姻戚としてお付き合いできるであろう事に感謝している。

ところで、
事故直後行われたいわき市でのある会合で「人災である原発事故にリベンジする」と私は宣言した。
それがどこでまちがったのか、あっさりと心が折れて汲々とする日々を送っているのだけど。

以前、難民生活真っ最中の友人が、ツイッターに悔しい思いを綴っていたのを見て、
私はその時「事故前より少しでも幸福になること。事故は事故として受け入れた上で
その先を見る事、それが東電に対してのリベンジになる」とコメントした。

彼女には3人の子供がおり(当時小学生と保育園児)、住んでいた町自体が原発の至近距離で
津波の被害にもあって崩壊している。
だから彼女が、私のさも分かったようなコメントをどう受け取ったかわからない。

が、彼女は着実に自分のミッションを曲げず、避難後も淡々と自分磨きをしている姿をSNSで
見ていると尊敬の念がふつふつと湧いてくる。

実際、原発事故は宇宙規模と言っても差し支えないと思っている。
なぜなら、
それは人の持つ性根、霊性に近い心理的な欲がもたらした自然崩壊の結果の一部だからだと思うから。



私のために(自分のためでもあったらしいけど)、東京の仕事を辞めて駆けつけてくれた次男に
何かしら応える事ができるのは親としてとてもありがたいことだし、こういうちいさな幸福が、
自分が友人のSNSにコメントしたような、ちいさなリベンジのひとつだと思う。
そして、こういうちいさな手応えを積み上げていけば、それが私のミッションでもあるように思う。

毎日が苦しいのは、今は病気なんだから仕方がない。
暖かくなったら、せめて自分で運転ができるようになって、自分のブレまくっているアイデンティティ
を探しに動きたいと思っている。

そして小さくとも自分の老後をそれなりに充実させていく事が、事故があったが故の、
また心折れた時期がある事で導かれたゆえの、原発事故に対する私のちいさなリベンジに
なると思うのだ。


過去、東京にいた私たち夫婦は産んだばかりの長男が1歳になるのを待って、戸渡よりはるかに山深い
電気もなく車も入らない山奥へ自立をもとめて移住した。
脱原発思想はその頃起きたチェルノブイリの事故以前から漠然とずっと持っていた。
そしてその答えを探すための移住でもあったのだ。

写真は、避難で転々としながら完成させ発行した冊子。
お金がなかったから県と市の助成金を使ったため、60ページという拘束以外にも書いては
いけない事がたくさんあった。

この冊子に着手したのは、事故の1年前だったから、自分自身の視点からも
一番描きたい事を描けずにに終わった、という無念が残っている。


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by derumaku | 2018-02-17 17:12 | 3.11関連